粟崎砂丘(内灘砂丘)かつては日本三代砂丘の一つと言われた。現在は開拓され、金沢のベットタウンとなっている。
本館粟崎遊園のメインの施設。食堂や喫茶店、遊戯室、大浴場がある。浅電に乗ってやってくると砂丘を背景したこの本館の赤い屋根の建物が目に入ってくる。浅電粟崎遊園前駅から本館入口前までの間に屋根付きの通路が出来たのは1934年(昭和9年)。本館入口のアーチは現在は内灘町民俗資料館「風と砂の館」に展示されている。
本館広間(ロビー)本館正面に入ったところにある広間。ここから左に行くと子供遊戯室、道なりに奥に行くと大浴場。右に行くと食堂、貸室、喫茶部を通り過ぎると大劇場。
大浴場天井には天女のステンドグラス。壁面には孔雀のタイルが飾られていた。孔雀のタイルは現在、復元されて内灘町民族資料館に展示されている。
大劇場(余興場)畳敷で千人ほど入れる。入口で座布団を受け取って観劇するスタイル。
動物園ここにいる猿は時折脱走し、北國新聞の記事に話題を提供した。
白鳥池
こどもの国
大山すべり当時、各地の遊園施設にすべり台が作られていたが、その中でも粟崎遊園のものはかなり大きなものであった。
粟崎海岸当時は男女別に泳ぐ場所が分けられていた。夏の海水浴の季節には浅野川線が海岸直近まで運転しており、海岸沿いに浜茶屋が立ち並んでいた。現在、金沢市側は埋め立てられてしまっている。
スキー場冬場の積雪の季節は砂丘の斜面を利用したスキーが楽しめた。「観光の金沢」によると海に近いからか雪質は悪かったと評されている。
売店・料理店うどん、すしなどの料理店もあったようだ。
羽衣荘・高砂荘晩年の平沢嘉太郎は羽衣荘に籠っていた。現在同地には平沢嘉太郎の記念碑が立っている。
機具橋当時の機具橋からは砂丘と遊園の本館の赤い屋根が見え、立山や白山も見渡せたという。
河北潟遊園に近い場所にボート乗り場があり、若い男女がロマンスを胸に遊んでいたといわれている。現在は大部分が干拓されてしまったが、当時は宇ノ木方面から船で遊園に向かうことが出来た。戦後、金沢港を建設する時に出た土砂で干拓が行われた。
浅野川電鉄金沢駅粟崎遊園、粟崎海水浴場に向かう玄関口。現在の浅野川線ホームは地下になっている。
