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提供 / 内灘町民族資料館「風と砂の館」
 
劇場

枡席スタイル。千人収容できる広さと言われている。

 

遊園案内によると

「建坪250坪、舞台の広さは40坪。常にいろいろな余興を催し入場者に無料で見せることになります。優に700人を収容し得られますから各種団体の会場、演劇会又は音楽会、講演会、舞いさらい会、謡会、浄瑠璃会、長唄会などの会場としてどなたにでもお貸し致すことができます。」

とある。

 

拍手大喝采の際には座布団も舞ったと高室信一は「粟崎遊園物語」で述べている。

 

初期の頃の鳥瞰図と後期の鳥瞰図では余興場の位置と建物の形が違う。「北陸鉄道10年史」によると建物は3度建て替えられたと言う。

最初の建物は2階建ての500人収容の小規模のもので、手狭になったため次に建てられたものが総檜造り、電気仕掛けの回り舞台と迫り、照明装置にキネオラマ3基、日本三大名家の藤田明春による背景幕と豪華なものだったが、オープン直前の1929年(昭和4年)1月7日の早朝の火災によって焼失した。その後急ピッチで再建されたのがバラック建の建物とも称された写真ものである。