日本海と河北潟に挟まれた地域にある。内灘砂丘は日本三大砂丘のひとつと呼ばれることもある。当時は粟崎砂丘と呼ばれていたようであるが、現在金沢市側は金沢港の建設に伴い埋め立てられた。
戦後の1953年(昭和28年)〜1957年(昭和32年)にアメリカ軍の試射場となるが、内灘村、金沢市内だけに止まらない全国的な反対運動が盛り上がった。
砂丘には風が吹くと風紋という模様ができていた。一時期はできなくなってしまったが、現在は竹の垣根を地中に埋めて風紋ができるように整備している。