藤井 とほる

 藤井とほるの本名は宮川敏雄。東京高等音楽学院(現在の国立音楽大学)出身でピアニスト兼歌手、妻はインド舞踊のダンサー、柏崎に自宅があったという。藤井とほるは1931年(昭和6年)に札幌で旗揚げ公演を行った「U・M・Gガクゲキブ」に参加している。この劇団は新聞記者で、歌人で、実業家でもあった五十嵐久一が立ち上げたもので、カジノ・フォーリー風のレビューを行なっていた。しかし、札幌での公演が失敗に終わり、赤字を埋めるために北海道や樺太のを巡業するうちに団員が減り、劇団は藤井とほるを新たに責任者として、映画館のアトラクション東北地方、北陸、名古屋、京都へと巡業を始める。この劇団には益田喜頓、丸久須屋、柳乗二、芝利英がいた。金沢では第二菊水に出演していたが、館主の都合で首を斬られたところ、五反田信一と浅電の東耕三のはからいで粟崎遊園に出演することになり、人気を博した。藤井とほるは楽器演奏や演出、脚本も手がけ、益田喜頓や芝利英が粟崎遊園を去った後も遊園に残って活動を続けた。また、遊園以外でも藤井とほるは活動しており、遊園が休業の時に同じく遊園の女優らと「シスターショー」を丸越百貨店で行った。1936年(昭和11年)宝生雅子と結婚。その後の消息は不明だが、満洲国新京で活動していた可能性がある。